常にモノトーンな日々の記録つまらない日常におこる様々などうでもいいコトを論点の見えない文章でかきなぐる徒然日記。

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試練 21:17
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絵を描かなくなって早一週間くらいが経過しているんだけど、だいぶ精神的には持ち直してきたように思う。

前回の更新の時はあたかも悲劇のヒロインのような感じに文章を書いてしまったのは非常に情けないと感じているんだけど、よくよく冷静になって考えてみると不幸が降りかかってきたワケではなく、単純に見たことのない試練が与えられて少し驚いていただけである。
とは言えこうして絵に対して拒否反応のようなモノが出てしまっているのもまた事実なワケで、多少はやり方を変えていかないといけないなとは思う。

ものすごくシンプルに、少々極端だし暴力的な言い回しになるけど、今の障壁は2つ。
,笋蠅燭ないことをやらされている
△笋蠅燭い海箸鬚笋襪覆箸い錣譴討い

まずこの,覆鵑世韻鼻△海譴呂發ζ庸砲靴討いしかない。
今までずっと避けていたことを突然つき付けられて戸惑いはしているものの、いずれは誰しもが超えていかないといけない壁なので遅かれ早かれ向き合う問題だからである。
とは言え、その壁があまりにも高かった場合、今回のように背を向けてしまうのでハードルを適切な高さに設定して段階的に超えていく算段を考えないといけない。
標高100メートルの壁だと思うから超えられないのであって、それを標高100メートルの山だと考えれば何とか超えていけるように。
超えられる超えられない以前に、超え方というものがあるのだ。

具体的に眼窩問題を例に出して言えば、今まで瞳と瞳の間隔をあけて描いてきたワケだけど、それを急にデッサン的な観点から眼窩にハマるように間隔を狭めて描けば、当然違和感は出てくる。
で、眼窩意識が出来ている絵を善、出来ていない絵を悪と考えてしまうと、この差が壁となる。
壁が出来ると睦月二十音はシッポをまいて逃げてしまうので壁を山としてとらえる。
ある程度は自分の手慣れた、自分が良いと思える価値観で絵を描き、それを徐々に狭めていくように調整をしていくのがベストなんじゃないだろうか。
実作業的な話で言うと、最低限の眼窩意識をしながら感覚的に自分が良いと思える絵を描いていき、徐々にその差を埋めていくようにしていくのが山、段階的という手法なんじゃないだろうか。

それまで自分が良いと思っていたことを急にやめて、良いと思えない価値観の上で描くのはやはり苦痛だし、前回でも言ったように自分は良くも悪くも自分の絵が好きすぎている。
もちろん今までのやり方を一気につぶしてすぐに新しい価値観の上で絵を描ける人もいる。これは今までの文面で言うところの壁を超えるというコトである。
でも自分のように今までのやり方をある程度踏襲しつつ、少しずつ変えていかないとダメになってしまう人間の場合は徐々にモーフィングしていくような感じが良いと思うし、何より耐えられる。
これが山を超えるということであり、たしかに壁を超えるよりも時間がかかるけど……まあ何というか、それでやらせてくれ。

△亡悗靴討蓮△發γにも何も言わずに一人で勝手に進めればいいと思う。
誰の許可もいらない。やりたいようにやれ、という話である。
せっかく意欲的にやりたいと思っていることがあるのに、あえてそれをやらずにいるのは何の得もないし、それこそテンションは下がるしストレスもたまる。
ただそれだけだと今までと何も変わらないので、この点に関しても改良の余地がある。

単純に言えば,鰺行した上での△箸いΔ世韻力辰世韻鼻△海譴けっこう茨の道のような気がしている。
例を出して言えば前回と今回アップロードした絵があるけど、実はこれをちゃんとした完成作品にしたくてしょうがない。
ただ、今は絵をいっぱい描く時期であり、完成作品を作るべきではないと釘をさされているので、そこにフタをしていたワケだけど、でもやっぱり作りたい。
作りたいのに作ってはいけないとはコレ如何に!? 心からあふれ出る完成作品への希望や期待を折って何が絵描きか! 単発イラストであっても企画作品であっても作りたいという気持ちにフタをして、どうやって活き活きと生きていけようか! …という話である。
とは言え、繰り返し言うけどそれだけでは今までと変わらない。

最低限の人体構造理解…たとえば眼窩意識や頭蓋骨意識などを踏まえ、さらには体の骨や筋などの構造理解を進めた上での個人製作である。
単純な自由創作だけやっているのでは今までと同じであり、発展・進化がないどころか先細りしていく。
だからこそ,鰺行した上での△覆里任△襦
今までと同様に新画風確立のための模写は継続するし、人体構造理解に必要な試行としての絵も描いていくけど、それを描いた上で自分の描きたい絵を描いていく。
書いてて思うけど、やはりそれは茨の道である。

超えるだの超えないだのと書いてきたけど、最終的には根性論かもしれない。
今までできなかったことをやってのけるだけの強さが必要なのである。
それは技量とか試行錯誤とか人体理解とか、そういうの以前に今まで出来なかったことを出来るようになるという単純な心の成長が求められているような気がする。
でも落ち着こう。
それを性急に求めてしまうと壁になる。壁があると逃げる。シッポをまいて。

今は変わる時期である。変わらないといけない時期である。
顔は眼窩や後頭部をちゃんと意識しつつ瞳も顔のラインに沿った形での造形を心掛けていかないといけないし、人体の構造もとにかく不明瞭な部分が多すぎたのでちゃんと骨や筋肉、果ては脂肪の部位まで理解して、より正確な描画ができるうにしていかないといけない。
でもその意識だけでは今こうして立ち止まって何もやらなくなって、もはやゴミ同然の人間となってしまう。

これを甘いとか弱いとか言われるのはある程度覚悟しているけど、でもやっぱり絵を好きでいたい。
ただ、やはり試練というからには単に好きだけでは今後を乗り切っていけないだろう。
爆笑問題の太田氏は「そのジャンルを大好きだという気持ちと、そのジャンルを他者に暴力的に扱われても平然としていられる突き放せる感覚の両方が必要」だと言っていたけど、今まさにそれが目の前にあるんだと思う。
自分、ひいては自分の絵が好きだという気持ちは今までさんざん強化してきたけど、今度はそこと冷静な距離が保てるようにしないといけない。
もちろんそれを急にやろうとするから壁になるのであって、いつも意識しつつ少しずつ変えていくというのが山である。
過去の、そして今後の未来にも壁を超えらえられる強者はいると思うけど、それが出来ないからと言って悲観してはいけない。
壁の前に勾配を作り、山として超えていけるのもまた同義である。

まあなんにせよ、また歩き出そう。シコリサス氏とともに。
黒と鉄の誓いは嘘ではないし、二人で見た理想を反故にしたつもりもない。
あまり重く考えないことである。
今回の件に関しては、ただちょっと躓いただけの話である。
いつものことじゃないか。
気にしない。気にしない。
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空虚な日々 22:16
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もはや同志シコリサス氏には申し訳がたたない。
絵を描き続けるという「黒と鉄の誓い」を果たしたはずなのに、今の自分は絵が描けない。
なぜこうも酷い状況に陥ってしまったのか…。

整理して考えていこう。
ー分の尊敬する絵描きさんたちが軒並み古い絵描きと判断され、参考にすることを禁じられている。
頭蓋骨を意識した描き方を推奨されていて元々描いていた画風で絵を描くことができない。
B里良舛方の癖をなくすため自分の発想で絵を描かず、写真を参考に絵を描いていくことを推奨されている。

だいたいこのあたりが自分の中の制限となっている気がする。
まず最初に思ったのが△砲弔い討覆鵑世韻鼻△海譴亡悗靴討呂泙晴甬遒亮分を引きずっているからだと思う。
新画風の確立を目指すのであれば過去の画風は破壊するべきだけど、でもまだ自分の中の手癖が残っていて、もともと自分は瞳と瞳の間の距離をあけて描くのが魅力的に感じていたんだけど、それを頭蓋骨意識をすることで眼窩の位置を意識しないといけなくなり、結果としてそれまで魅力を感じていた画風で絵が描けなくなった。というのが大きなウェイトを占めている気がする。

これに関してはプライドの問題である。
一度自分の画風をさら地にして、もう一度組み立て直すのであれば画風以前に手癖や思考さえも変えていかないといけないけど、そこらへんで過去の自分とシノニム(競合)が起こっているのではないだろうか。

に関しても大きな制約である。
今までは自分の発想で絵を描いていたけど、それを封じて、誇張や手癖が介在しない写真を参考に絵を描くということが単純に慣れていないんだろう。
ここ何日かずいぶんといろんな写真資料を取り寄せているんだけど、いまいち描きたいと思うような画像が見当たらないのが厄介である。
でもこれもまた気持ちの問題であり、今そうやって絵を描いているのは別に作品を作るためではなく、あくまで人体の構造把握のための練習や訓練であって絵の良し悪しのための絵ではないのだから、とりあえずは絵=作品という考え方から脱するべきなんじゃないかと思う。

とは言え頭では理解しているものの、結果的に絵を描く意欲が低下している現状はなんとかしないといけない。
,鉢△鉢を総合して考えていくと、たぶん自分は自分が好きなんだと思う。
他人から評価されなくても自分の描く顔が好きだし、下手だったとしても自分の描く体つきは好きだし、たとえ古いと言われようとも自分の尊敬する作家さんの絵は大好きだし、いつか自分もこんな絵が描ければと常々思っていた。
要するに絵というのは自分の好きの集合体なワケである。

でも今のこの状況は自分が好きと思える要素がひとつもない。
新画風の確立や体の描き方の矯正は大きな課題だとは思うけど、やはりその根底には「好き」がなければ続かない。
好きだから描いてきた。好きだから続けてきた。でも好きじゃなくなれば別に描く必要がなくなる。
もっと即物的に絵をとらえているのであれば…たとえば仕事のためとかお金のためとか、自分と絵との間にしかるべき距離があれば続けられるかもしれないけど、そういう意味で考えると自分は絵と密着しすぎている。
善きにつけ悪しきにつけ…。
これは根源的な問題であり、いわゆるモチベーションやテンションコントロールといった情操的な問題である。
でも冷静に考えると自分の出発点はそこであり、根源に好きがなければ土台から崩れる。
他人はどういうスタンスで絵を描いているのかは分からないけど、少なくとも自分の場合はそうなんだ。

ならどうすればいいのかという結論は出ていないけど、でもそういう理由で今は絵に対して拒否反応が出ているんじゃないかと思う。
そのことを甘いというのであれば、それこそ甘んじて受けようとは思う。
ただ何も描かない今の現状はなんとかしないといけない。
好きな要素を取り上げられている今の状況は確かにマズいけど、でも今までのように好きだけで構成されている状況も発展性がない。

とりあえずは感性を働かせないでも大丈夫な行動は今後も続けていこう。
模写と写真模写である。
他の作家先生の模写は新画風の確立のためにも継続していけばいいけど、でも譲歩案として古いから参考にするのは禁止だとされている作家先生の模写も解禁していこう。
そして写真模写はボーダーを下げて写真トレスにしていこうと思う。
体の描き方や構造理解は進めないといけないので写真模写はやめて写真トレスにランクダウンさせ、とにかく骨や筋を追うことだけに終始すればいい。

そして肝心の自分の絵に関してだけど、これは今はなんとも言えない。
重複して言うけど制約の中だけでは絵を描けないし、でも制約のない中では発展性がない。
頭蓋骨意識や眼窩意識を持った中で自分の好きを模索していく以外ないだろう。
とにかくあまり極端に考えないことである。
骨格意識が出来てないことを悪と評することも、自由に伸び伸びと描いていることを善と評することもしない。

とりあえず、まずはペンを持ってみるところから始めよう。
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誰が何の為に 08:34
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「解剖学 アトラス3D」のロックを1900円くらいで開放し、骨と筋を立体で見られるようになった。

さて、いろいろな知識を入れている最中であり、人体には骨がどうやって入っていて、そして筋肉がどう入っていて、さらには脂肪がどこについているのかなど、いろいろと勉強をしているところである。
正直に言えばツラい。

顔も今までの画風を捨て、でも新しい何かが確立されているワケではないので、まだ自分の絵らしさのような感覚を得るまでには至っていないし、体つきも勉強中とは言え、一度自分で体の輪郭部を描いてみて、そこに骨や肉などを当てはめる筋骨パズルのようなモノを実施しているけど、まだ正しい知識とデフォルメの間の上手い具合の境界を見つけられずにいる。

顔の描き方も覚束なければ体の描き方も中途半端であり、そのことに激しいストレスを覚える。
以前のように何も考えずに描きたい絵を描くだけだったら楽だったし楽しかったけど、顔のルールや人体のルールなどの枷を付けた状態になると、もちろん慣れるまでだとは思うけど、でも窮屈である。

練習や訓練は大事だけど、でもそのコトが原因でそもそも絵が描きたくなくなるという場所に陥るので、そこらへんをどう回避していくのかも重要だし、最近このブログの更新頻度が下がっているのもそのあたりに原因がある。
冒頭…と言うより今回のブログタイトルになっている「誰が何の為に」という話である。
自分を解体し始めたけど、でもだからこそ今の自分は自分でないような気がして、自分らしく在った過去を懐かしく思う。

もちろんあの時の自分に戻ったところで最終的には行き詰るとも思うので、今の選択は悪くないとは思うけど、でもこんなことを考えるのは今だけなのだろうか?
暗中模索の五里霧中ではあるけど、絶えず描いていくうちに顔の描き方が固まっていき、さらには人体の知識も取り入れて、今までのような自由奔放な絵ではないだろうけど、諸々の法則をすべて守った上で自分らしい絵、自分の感性だなと思えるような絵が描ければ、また絵を描いて楽しいという日々は戻ってくると思う。

お金もなければ社会性もない自分にとって最も大事にするべきなのが絵だったし、自分に持てるモノが何もないけど、でも絵だけは自由であり尊厳であり安息であった。
だけど今は絵をそういう目で見ることができなくて、いよいよ自分の中に何もなくなってきたような気がしている。

でもまた安息の日々に戻れるか、それとも霧の中をさまよい歩くか…。
そういうのを決めるのもまた自分次第である。
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エロフィギュアを買おう! 22:08
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5月から体のコトを勉強し始めたけど気づいたらもう5日だった。
時間は気を抜けばすぐに過ぎていくし、一分一秒を…とまで病的に捉えずとも、少しでも意識的な時間を多くしようと意識していなければ一瞬で過ぎ去って行ってしまうな、という話。

今のところ、自分の中にぼんやりとした知識として入ってきているのが、上半身の前面と腕の構造を少々…という程度なので、とりあえずは写真をもとにして絵を描いていこうと思ったんだけど、写真模写をやってみると、いつの間にかただ単に模写だけして構造的解釈を忘れるなど、依然としてアホなところがあり反省ばかりの日々である。

以前と同じことを重複して言うけど、写真模写というのは模写が目的ではなく、写真から最低限のアタリをとるくらいでいい。
あとはその中に自分の知識を入れてパズルのように組み立てていくことこそが知識を伴った実践となる。
たとえば写真から取り入れるのはアウトラインくらいでも良くて、あとはそこに胸骨とか胸筋など、自分の持っている知識を埋め込んでいく。
そうしないと写真やイラストなどのモデルありきの絵しか描けなくなり、いざ自分で絵を描こうと思った時、模写元の画像がないと絵が描けなくなる。

今必要なのは体を構成する骨や肉のパーツ知識を入れることであり、写真を忠実に再現することではない。
…というようなことを同志シコリサス氏から教わると同時に注意を受けた。

何と言うか、反省と後悔ばかりの毎日である。
とは言え反省などしつつも次の絵を描いて、また内部構造をくみ上げていくパズルを繰り返していくのみである。

ちなみに今回アップロードした画像は、何回か前に載せた画像のその後の修正バージョンである。
最初に載せた時の絵はまた頭蓋骨意識が薄くなっていて頭が平坦な感じになっていたので、改めて後頭部を描き足して、そして新たな頭部線画に沿う形で髪の毛も描き直した。

なんだかんだでギャルっぽくなったけど、この元となったキャラクターが例の物体199氏の217(フィーネ)嬢であり、彼女の設定はギャルっぽいけどサブカル系にも理解がある…という設定だったため、ギャルっぽく描きつつもゲームコントローラーを持っていたりするという、そういう絵になった。
原版はもっとサラサラしたロングストレートなんだけど、休日感を出すというのが絵のコンセプトだったので、多少髪の毛がバラついてしまったけど、まあこれはこれでいいかという感じである。

……。
で、なんだっけ?
というコトでタイトルとなっていたエロフィギュアを買いたいという話はなんか分量の都合で割愛。
模写もいいけど、そろそろフィギュアデッサン(造形デッサン)もやりたいんだけど、でもどうせするのであれば良質なエロフィギュアがいいなという話であり、どれを買おうかサンプルを見ながら検証していくというどうしようもない感じの内容の記事を書くつもりだったんだけど、でもその話はまた次回にでも…。
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スプラッシュトーク 10:05
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とりあえず模写は継続しているものの、相変わらずヘンテコなモノばかりが量産されていく日々である…。
実際にモデルとなる絵を見て描いて、ある程度描き終わったら原版の絵を重ねてみるんだけどビックリするくらい原版とは違った絵になっててついつい膝から崩れ落ちてしまうことも少なくはない。

でもそれとは別に模写は面白い。
絵として見ているとつい見流してしまいがちな要素でも実際に描いてみることで気づくことも多く、たとえば今回の絵は毎度お馴染みドルフロの絵なんだけど、このキャラクターは頭にウサギがくっついているという自分の発想では絶対にありえないデザインがあり、おそらく正月の絵なのか分からないけど、このウサギをよく見てみるとニワトリのフードをかぶっていて、そこでまた驚きである。

デザインが二重三重に張り巡らされていてプロのイラストレーターというのは本当に恐るべき人種だなと畏敬の念を感じずにはいられない…。

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まあ、それはともかくとして自分の絵である。
前回の更新の時にも言ったように、今月からは顔ももちろんだけど、いよいよ体の描き方に関しても検証実験をしていくことになった。
とは言えいきなり体全体というワケにはいかないので、まずは上半身の前面、次に上半身の背面、そして腕と流れていき、徐々に下半身へ…という感じで体をおおまかな部位にわけて、少しずつ骨格や筋肉などの知識をつけていこうという計画である。

ちなみに今回の絵は毎度お世話になっている物体199氏のオリジナルキャラクター「OBJ200(フレイ)」嬢を描かせてもらった。
さらに言えば何回か前の更新でギャルっぽい感じのゲームコントローラーを持った女の子の絵を描いたけど、実を言えばあれも物体氏の「OBJ217(フィーネ)」嬢を描かせてもらっているという……何というか困ったらOBJという癖は辞めた方がいいとは思う。

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で、繰り返しになるけど、とりあえず描いた絵をシコリサス氏にチェックしてもらって、まずは前回のおさらいのような感じで主に胸まわりの筋肉を検証していく。
体を描く基本としては胸骨を設定してあげて、そしてその周辺の大胸筋や鎖骨、今回の絵の場合で言えば広背筋など、自分がまだ知らない筋肉や骨の仕組みを教えてもらいながら、この絵のこのポージングを構成している要素がなんなのかを考えていく。

そんな過程の中、腕の長さの比率や肘の位置なども修正が入り、腕に関しても全然リアリティのない絵を描いていたんだなと実感。
なんとなく記号的に絵を描くことは出来るけど、でも人体構造から裏付けられた自然でリアルな絵とはまったく別のモノである、自分の絵は。
それっぽい絵と裏付けられた絵は違う。
そしてそこにリアリティが感じられるからこそ見る人は絵に没入できるのであって絵に共感できるのである。

最終的にはデフォルメしてしまう絵なんだけど、やはりそこには人間の体というルールがあり、そのルールを守った上でデフォルメしている絵が自分の中での「良い絵」なんだと思う。
以前弟の水越氏に「型やぶりと型はずれ」という話をされて、型破りというのは良く聞く言葉だけど、それは型を守る、あるいは習得した上でそこから逸脱する行為であるのに対し、型はずれというのはそもそも型を無視したり未習得だったりする状態なのに逸脱しようとする考えなので、あらためて基本的に知識がないのに好き勝手絵を描いていた自分は型はずれだったんだなぁとしみじみ反省した。

まあ型破りもそれはそれで異形の型だから、とりあえずはちゃんとした人体のルールを学んで、その上で絵を描けるようになろう…というのが当面の目標である。
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人体狂騒曲 09:09
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「狂騒曲」とはクラシックの「狂曲」から転じた言葉で文字通り狂乱などを示す言葉であり、英訳すればそのままマッドネスと訳される言葉ではあるけど、でも自分の場合の狂騒というのは言わばコップの中の嵐のようなモノである。
要するに自分の中だけで雨風がゴーゴーと吹き荒れているものの他人から見ればどうという事もない、極めてマイクロでミニマムな話なのである。
まあ、毎回そうなんだけど…。

そんなこんなで最近はこのブログの更新速度がまたググっと減っているんだけど、決してやる気がないワケではなく、単純に描くトピックがないだけである。
最近この場でアップロードしている模写の画像とかはあるけど、あんまりこういう場では相応しくないかと思うし、自分の絵もあるにはあるけど公開することで絵を教授してくれる方々から「なんで君は分からないんだ!」と怒られるのが怖かったりもするんだけど、でもまあ自信もって怒られていかないといけないんだろう…。

というワケで早いモノで絵の矯正を始めた3月初頭から2ヵ月が経過して今日から5月である。
予定としては5月から人体をめぐる骨格や筋肉の知識を入れつつ、今まで「何となく」とか「たぶんこんな感じだろう」と言った勘や憶測だけで描いていた体に対して裏付けられた知識を取り入れて、より完璧な描画を目指していこうという計画である。
しかしそれは逆に言えば4月までに顔の描画をしっかりと安定させておく…ということになるんだけど、残念ながら顔に関しては定着させることは叶わず、でも今後は体のみ・首から下のみを描くワケではなく、当然頭部も描いていくので、体の知識を入れると同時に顔の描き方も定着させていこうという、少々妥協的な結果になった…。

最近、自分の面倒を見てくれている同志シコリサス氏はもう5年も人体知識を学んでいて、それでもまだまだ勉強しないといけないことが多いと言っているんだけど、であれば今まで何となくの憶測だけで人体を描いて、そして8月までに新画風確立を目指している自分は大丈夫だろうかと少々不安になる。
うん、顔に関しても体に関しても不安ばかりである。

というワケで人体が解禁である。
以前も話したように今後しばらくは自分のオリジナルの絵も描くだろうけど、基本的には何の誇張もない実物の人体の模写をしつつ、さらにその内部構造にも気を配り、ある程度は急ごしらえだろうけど人体知識を取り込んでいくというのが今月の目標だろうか。
もちろん可能な限り他作家様のイラストの模写も続けるし、いろいろな方面から知識を取り入れられればと考えている。
当然どの程度いけるのかは不明であり月末になってみないと分からない。

人体に関する勉強は以前にもやっているんだけど、そのことごとくが挫折に終わっているので、今度こそ諦めず最後まで勉強を遂行したいと思う。
今後の教材としてはアップロードした画像にもあるように「スカルプターのための美術解剖学」という書籍を頼りに、そして「解剖学 3Dアトラス」という骨格や筋肉などを3D化して自由に見ることのできるアプリを入れ、そして現在も人体を学んでいる先輩シコリサス氏のご教授という3点を武器に知識を入れていこう。

時には諦めの気持ちがいっぱいになり「もういいや…」みたいな感じなることもあるし、そもそも自分のような人間に絵なんて無理だったんだぁっ…などの自暴自棄気味な気分になることもあるダメな自分だけど、でも創作は破壊と再生である。
今まで自分が積み上げてきたモノを壊し、必死に守ってきた誇りを手放し、今は破壊の限りを尽くしている。
ダメだったら戻ればいいと思ってきたけど、もう以前のような絵は描けないし、新画風と呼べるモノもまだ生まれていない。
今はまだ空中でフワフワしている時で、だから不安にもなるし投げやりな気持ちにもなる。
でも今はいろいろなモノを集めている段階であり、いつかそれを集合させて新しく再生する時は来る。

だから今はじっと耐えて、知識を集めよう。
| イラストレーション | comments(0) | - | posted by 睦月二十音
ようやく絵が描けた… 02:19
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ようやくブログが更新できる…。
また間が空いて6日ぶりの更新である。

最近は模写ばかりで、まあ例のごとくドルフロの絵ばかりを描いていたんだけど、でも前回の更新でも言っていたようにやはり模写というのは睦月二十音の流儀に反するので、たとえ一部であったとしてもこうやってブログに載せるのもどうかとは思う。
でも睦月二十音だったとしても別名義だったとしても、結局もとは一人の人間なので、べつに全部混ぜこぜでもいいかなぁと思っていたりもする。
最終的には適当で惰性なのだなぁ、自分は…。

そんなワケでドルフロのキャラクターは非常にグッドルッキングなので描いていて非常に気持ちがいい。
でもそろそろアズールレーンとかも描くべきかなぁ、などと思ってキンドルストアでアズールレーンのセカンドアニバーサリーブックを買ったんだけど、なんか解像度がビックリするほど低くて顔の模写がしたかったのに顔を拡大すると画面が粗すぎて模写が出来ずに泣くという事態も起こったりしていた。

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さて、特筆すべきはようやく自分の絵が描けたということである。
もともとあった絵柄を壊して新しい絵柄にしようといろいろ頑張っているところではあるけど、それまでの絵を捨てて、しかも新しい絵柄も固まってないから、ちょっとフワフワした感じになっているんだけど、でもだからと言って作品を作らないワケにもいかないだろう。

今回の作品は「Play together」というコンセプトのもと、大胆な部屋着でダラダラとゲームをやっている彼女にドキドキしていたら一緒に遊ぼう、とコントローラーを差し出されて誘われている感じを描いてみた。
そんな恰好でいられたらゲームに集中なんて出来ないよぉ! …という感じである。

とは言え自分でよく描けたと思っていた絵でも、シコリサス氏のフィルターを通して見るとまだまだ修正する部分がたくさんあるようで、いろいろと指摘を受けた。
後頭部の意識が欠けていたり、顎から首にかけてのラインがあまりにも単純化されすぎていたり、今回の絵を送って手直しをしてもらったんだけど、自分の絵が目の前でみるみるうちに改良されていく様は非常にショッキングでアメイジング(?)であり、ちゃんと体の法則を覚え、そして意識して描くとこんなにも絵は良くなるんだとつくづく感じた。

どこかの予備校のキャッチフレーズのようだけど「苦手部分は伸びしろだ!」という言葉があるように、まだまだ自分の中には課題が山積しているワケだけど、それらをひとつひとつ克服していけば今よりももっともっと良い絵が描けるんだと信じ、継続して自分の絵をより良いモノにしていきたいと思った。
自分の絵にいかほどの価値があり、他人にとってどんなモノになるのかはわからないけど、でも今よりもずっと良い絵を描けるようになった自分に出会えたらさぞ素晴らしいだろうと思う。
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されど睦月二十音 09:00
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一日一枚の絵、それも二次創作を描くなんて無理だよぉ…とさっそく挫折気味な今日ではあるけど、本当にどうなっていくんだろうか…。

以前にも触れたとは思うけど、二次創作をするのは単なるファンアートではなく、その作家さんが持つ骨格の捉え方を意識・考察しながら真似ることだったり、その作画を自分の手で一度描いてみることで何らかの気づきを得ることにある。
需要と供給、他者とのすり合わせの意味も大きいけど、最終的に自分の作画に還元されることが一番の目的なので、単純に目先のコトに陥ってはいけない。
要は意識しながら描くということである。

お気づきの方もいるかもしれないけど、最近描いているのはドルフロことドールズフロントラインの二次創作である。
すり合わせの観点から行けばアズールレーンあたりが妥当かとも思ったけど、まあ当たらずとも遠からずだろう。

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とは言えこの場は睦月二十音名義のブログなので、睦月的な立場から発言し、絵を公開していかないといけない。

というワケで自分の絵である。
当たり前の話だけど、なかなか新画風の確立…という具合にはならず基本である後頭部や眼窩の意識もまだ適切に描けていないのが現状なワケだけど、それでも一時に比べれば瞳のサイズはずいぶんと小さくなり、黒目は丸みを帯び、ずいぶんと人間らしい顔立ちになってきたように思う。

2月9日のコミティアの出張漫画編集部において徹底的に絵を否定されたのはまだ2ヵ月半くらい前の出来事ではあるけど、思えばアレが良いきっかけになってくれたんだろう。
あの場でやんわりと賛成も否定もないフワフワした意見しかもらえなかったのであれば今日現在この絵は存在していなかったと思うし、そう思えば悪いことではなかったのかもしれない。
ショック療法はアリである。

さて、一応の予定では4月までは顔の基本を覚えるというスケジュールになっている。
そして5月以降は人体の構造を考察すると共に正確な体を描けるよう同志シコリサス氏にご教授を仰ぎながら実践を伴う知識を得ていきたいと考えている。
今はまだ中途半端でクセのついてしまった体しか描けないので、あんまり人体を描くのは得策ではないと言われているため、体を描くのであれば写真をもとにした模写が適切なんだそうだ。

自分の中だけでモノを考えると自分という偏った思考に進んでしまうし、では二次創作的に他者様の絵を元に絵を描くのはどうかという話が出たんだけど、絵においては顔だけでなく体の描き方にも作家の個性が出ているので、安易にそれを模写したり参考にしたりするのは危険がともなう。
なので基本を学ぶという現時点では誇張やデフォルメのない現実の体を模写なり参考にするのが一番適切ということで、顔に関しては継続して考察を続けていくけど、体に関してはリアルをモデルにすることとなった。

写真を参考に絵を描くコトを安易に構図パクリなどと言う人がいるけど、それは違う。
リアルを参考にすることは自分の中に堆積した変なクセを治す手法であり、基本を学ぶことであり、最終的に作品となるのはデフォルメのきいた絵だけど、まず基本的な知識がないことにはデフォルメさせることもできないワケで、足踏みしたり迷走しているように見えるかもしれないけど、今まさに「努力の方向を変える」渦中の一番中心にいるので、なんとか継続していきたい。
| イラストレーション | comments(0) | - | posted by 睦月二十音
発進準備 10:34
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少しずつでいい。
ほんの少しずつでもいいから、今の自分を変えようという意識を持って日々を生きたいと思う。

というワケで新名義、新アカウント、そして新画風…いろいろな意味を込めて二次創作をやってみた。
‘瓜屮轡灰螢汽校瓩箸硫駭辰涼罎如△笋呂螻┐鯊く描けることが重要…というより最低条件、のような話が出た。
正直、絵を描くのが遅い自分としては億劫な話である。
△気蕕縫張ぅ奪拭爾鬚舛磴鵑藩用しようという話も出て、やはり辺境のブログでコンパクトにミニマムに活動するのでは人目につかないので、まずは人の往来のある場所で活動しようという話も出た。
この場合も、人の評価とかに過敏な自分としては正直荷が重い…。

先日、GIF動画をこの場でアップロードしたと思うけど、正直その作品の反応がイマイチである。
動画人口が増えたというのもあるんだけど、やはり二次創作に押されてオリジナルではなかなか思うように見てもらえない。
動画のランキングには正直自分から見て原画・技術ともに自分の方が勝っていると思うような動画が多数あったけど、でも二次創作の力は強いと思ったし、何より動画を見に来るお客さんこそが二次創作を求めている。
シコリサス氏はそれをユーザーとのすり合わせと言っていた。

「媚びている」とか「売れるように」とか言ってしまうと元も子もないし身も蓋もないけど、端的に言えば需要と供給である。
自分たちが作るモノとお客さんが求めるモノを出来るだけ合致させていく努力というのが必要なのである。
オリジナルジャンルが見たいと思っているお客さんにオリジナルを提供できればいいんだけど、実際には多くの人が二次創作を求めている。

なので自分も二次創作をしてユーザーとのすり合わせをしていくのが望ましく、人々の需要を満たせる描き手になるべきだと言う。
重ねて言うけど億劫であり荷が重い。
あ、付け加えるけど、コレは単にユーザーの需要を満たすことが最大の目的ではなく、人気キャラクターを描かれている作家さんの絵を実際に描いてみることで、その描き方を自分の中にも取り込むという意味も含まれる。

とは言え‖く描くコトもSNS上で活動するコトもF鷦〜郎遒鬚笋襯灰箸蘯分が今まで避けて通ってきた道ではある。
オリジナルの純愛路線限定で、しかもフットワークは遅く、公開範囲は限りなく狭い…。

「井の中の蛙大海を知らず」とは言うけど、これほど上手く自分を形容した諺も珍しい。
でもその諺には「されど井戸の深さを知る」という続きがあり、今までやってきたコトは決して無駄ではない。
井戸の深さを知るカエルが大海を知れば割りと強キャラになれるんじゃないだろうか。中ボスくらいには…。

なので今後は、今まで避けていた‖描、SNS、F鷦〜郎遒棒擇蟾んでいくことになる。
冒頭で言ったようにすでに二次創作を描いてはいるんだけどまだまだ難しく、あと全景を表示しないのは睦月二十音名義でやることではないと思っているからである。

とりあえずは実験である。
この三項目をカバーできる自分になれば、その成果はきっとオリジナル作品にも還元されていく。
一応、新名義での活動を開始するのは5月からの予定で、今はその発進準備と言ったところだけど、とりあえず地道に進んでいこうと思う。
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誰か自分を殴ってくれ 20:15
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描けない…。
ともかく絵が描けないんだ…。
こんな絵描きとしてダメな自分を誰か殴ってくれと言いたい気持ちである。
恐らく魂が堕落しているんだろう。なのでまた魂を脅かす必要がある。
魂を脅かすことで生存本能を刺激し、そうするとそれに呼応する形で創作意欲が湧くからである。
体のトレーニングと同様、体に無理をかけることでそれを超える超回復を得られるように、魂にも無理をかける必要があるのではないか、今。

ともかく今日アップロードした絵の解説をしていこう。
パッと見た瞬間はそれなりな絵のように見えるし、周囲からの評価もそこまで悪くはない。
でも自分の中でまだ未消化な部分があり、依然として以前まで(あ、駄洒落…)の画風の方が良いのではないかという考えにとらわれている。

冷静に見れば後頭部意識はちゃんと出来ているし、瞳も可能な限りではあるけどサイズを控えめにして、黒目部分に関しても出来るだけ円形を意識し大きさもそこまで大きくならないよう考慮して描いた。
顎から耳にかけての線も悪くはないし、以前の画風と比べて頬に位置する部分にちゃんと空間を設けることが出来ているように思う。
特に瞳に関する部分では人体構造的な瞳の形(横向きのひし形)を意識して描いたせいもあり、それなりに成果が出ているのではないだろうか。
あとは鼻がまだまだ平面的なので、その部分をどうするかを考えないといけないんだけど、全体を通して人間らしい顔つきに近づいてきた。

でも問題なのはさっきも言ったように、まだこれを良い絵ととらえられてないコトだろうか。
なので今後はこの顔の描き方を繰り返し描いていくことだろう。
顔だけでいい。体のコトに関しては次のステップで考えていく。
この顔の描き方をより改良・洗練させていき、このまま表情や角度をつけた描き方(アオリ・フカン等)が出来るようになっていけば良いんだと思う。
そして基本を押さえた上で、さらにリアルにしていくか、あるいはデフォルメさせていくかを考えて、より自分が魅力的だと思えるように変えていけばいい。
とにかくまずは基本である。

でも冒頭で書いたように、今なかなか思うように絵を描くことができない状況にある。
だからこれも繰り返しになるけど、魂を攻撃して目を覚まさせないといけないと思っている。
魂に傷をつければ、いろいろと弊害も出てくるかもしれないけど、でも今は絵を変える大事な時だから、今こそ思い切ったことをしなければいけないんだろうと思う。
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